僕の『僕の頭の中』

音楽や本、ラジオなどのポップカルチャーと自分語り

32歳、僕ははじめてくるりを観る~東京の街に出て来ました~

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「あなたがいちばん好きなミュージシャンは誰ですか?」

 

僕は迷わず「くるり」と答えるだろう。

だがしかし、僕はくるりのライブをまだ観たことがない。

それはなぜか?

 

母の話をしよう。

僕の母は学生の頃から吉田拓郎のファンだった。

母は、兄の部屋にこっそり入ってこそこそと彼のレコードを聴いてはときめいていた。

母が当時住んでいたのは青森県津軽地方。

とても吉田拓郎がライブに来てくれるとは思えない。

ましてや農家の末娘。裕福でもなかったので、東京へ彼に会いに行けやしない。つま恋コンサートなんて夢のまた夢。

 

それから十数年が過ぎる。

母は南部地方に嫁ぎ、パートをしながらふつうの主婦をしていた。

当時9歳の僕は夏休みだったのでゴロゴロとテレビを観ていた。

そしてあるCMに目がとまる。

 

吉田拓郎、盛岡にくるじゃん。」

 

母からどれだけ彼のことが好きか聞かされていた僕は、予約の電話番号をメモし、パートから帰ってきた母へ吉田拓郎のライブを盛岡へ観に行くよう言った。

父の後押しもあり、宿泊も盛岡に住む叔父夫婦の家に決まった。

母は憧れの吉田拓郎のライブへ行くことを決意した。

 

こうして、母は少女の頃からの憧れのアイドル、吉田拓郎を初めて観たのである。

 

ライブから帰宅し、僕は母に尋ねた。

「ライブどうだった?」

僕は、母がまた行きたいの言うのだろうと思っていた。少女の頃からのアイドル、一度観ただけでは満足しないだろう。

 

ところが予想外の答えが返ってきた。

「もう満足!!思い残すことはない。」

 

えっ??

母は、吉田拓郎を一生分堪能したので、もう観なくても大丈夫と言ったのだ。

 

衝撃だった。

僕が、今後大好きになったミュージシャンのライブを観たら同じように思うのだろうか…。

 

それから僕は中学に上がり、あるバンドと出会う。

それが「くるり」だった。

 

僕は、のめり込んだ。

 

「NIKKI」は生涯のベストアルバムだし、失恋した時は「ばらの花」を聴いて涙した。もし結婚したら結婚式のBGMは「春風」、東京へ行った時は「東京」を聴きながら東京の街を闊歩したりして、京急の「赤い電車」に初めて乗った時は感動のあまりはしゃぎすぎて一緒にいた友だちがドン引きしたりして…。

 

僕の中でくるりは最も重要なアーティストになっていた。

そして、くるりへの想いが強くなればなるほど、不安は大きくなっていた。

 

「もう満足!思い残すことはない。」

 

僕は、くるりのライブだけは何がなんでも避けてきた。

アラバキくるりが出ると聞いたらアラバキに行かないくらい。

くるりロスになりたくなかったんだ。

 

そんなくだらない葛藤を抱えたまま僕は31歳になった。

彼らのライブスケジュールだけは欠かさずチェックしていた。

僕は「songline」のリリースツアーのスケジュールを見て、あっとなった。

 

ツアーのラスト2days初日が僕の32回目の誕生日だったのだ。

 

9歳の頃の僕が脳内に呼び掛ける。

 

くるり、誕生日にライブあるじゃん。」

 

「えっ、でも平日だし…」

 

「休暇取ればいいじゃん。」

 

「まあ、そうなんだけど…、でも…」

 

「でも?…くるり、ずっと観たかったんだろう?」

 

そう。僕は、くるりを生で、この目で、耳でずっとずっと体感したかったんだ。

9歳の頃の自分に背中を押され、チケットを申し込んだ。

 

当選。内心、僕は嬉しかった。

そして、発券。僕は卒倒しそうになった。

 

zepp東京で行われるそのライブの整理番号は、なんと10番台前半だったのだ。

 

神様っているのかと思った。

 

もう一生分、くるりを堪能したと思ってもいいと思った。その時はその時だ。むしろ幸せじゃないか。

 

そして、今日。僕は32歳になった。

憧れのくるりを観る朝、僕はこのブログを東京の街で書いている。

ライブを観たら、きっといろんなことを思うだろう。

でも、きっと僕は前を向いているはずだ。

 

東京の街に出て来ました。あい変わらずわけの解らない事言ってます。

恥ずかしい事ないように見えますか?

 

 

くるり「東京」

https://youtu.be/9osrk5jXCUY